sometimes in amidacamera  ときどき、ご説明します。

<< September 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>


2017.04.01 Saturday  スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- . -



2010.08.18 Wednesday  執拗に追求されるイメージ


pic:shoji ueda


日常的な事象や光景が写っていて、それが何を訴えたいのかよくわからない。そんな曖昧な写真が作品として跋扈しているように思えてならない。其れらはあたかも、私写真という言葉を隠れ蓑にしているかのようにも見える。
しかし、植田正治の写した日常には、其処に居たわけでもないのに感じる郷愁もあれば、何処にでもあるような光景を切り取っただけなのに、何かこう、膝をポンと叩きたくなるような感じで理解できるユーモアがある。そして其の作品群は、実に気の利いたフレーミングで、写真としての完成度がある。
其の一方で、ベス単レンズを敢えて使い続けたり、印画紙を歪曲させてプリントする(まるで、偶然のアクシデントで採用された「ラバーソウル」のジャケット写真のようだ)というような、写真機を遊ぶ無邪気な作品があったりと、撮影者の態度としては奔放に見える。
ひとつの背景や技法に拘ることなく撮影された一連の作品が、植田調と謂われる、統一感を持った美意識を醸し出しているのは本当に不思議であり、何度見ても飽きない。
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京・日本橋)での「夢の向こうがわ 浜口陽三・植田正治二人展」を見た。浜口陽三の好んだモチーフと、卓上の静物を描写した晩年の植田作品とのコンビネーションが主題なのかなと想像していたが、美術館のコレクションは意に反して素晴らしく、砂丘風景から童暦、小さい伝記というシリーズからまんべんなく選ばれていた。

「企画展 - 浜口陽三・植田正治二人展−夢の向こうがわ」
2010年7月3日(土)から9月26日(日)迄(23日迄夏期休館)



何を撮るかというイメージを執拗に愚直に追及し、其の装飾が何故か古色蒼然としているロシアや東欧の写真家の作品が好きだ。資生堂ギャラリー(東京・銀座)で開催されていた「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」を眺めて、其の思いは裏切られることはなかった。


pic:Tereza Vlčková

それぞれの作家には、すべて社会的テーマが設定されている。静謐なモノクローム作品は健在だが、インクジェットによる大判プリントで表現する、ディタ・ペペ(1973年、チェコ共和国オストラヴァ生まれ。現代社会における多様な女性たちをテーマに、自身がその対象に扮する「Self-portraits」シリーズを制作。さまざまな職業の老若男女と、其れらの人々に合わせてコーディネイトした作者自身が記念写真のような人工的ポーズと背景で写っている)、テレザ・ヴルチュコヴァー(1983年、チェコ共和国フセチーン生まれ。少女をモデルに、場所・時代が漠然とした、神話や寓話を思わせる神秘的なイメージの作品を制作する)の作品が斬新だった。テレザ・ヴルチュコヴァーのTwinsは其れこそなにかの模倣にも見えるが、生身の少女と其のコピーを合成したもの、対になる人形の少女を撮ったもの、そして本当の双子を撮影したものなどが混交して並んで配置されていて、其れが鑑賞者の予定調和的思考を掻き回す。
そしてミハル・マツクー(1963年、チェコ共和国ブルンタール生まれ。アイデンティティの喪失と破壊をテーマに、独自の技法による“Gellage”シリーズを制作する)の執拗なコラージュと、プリントされたガラス板によるオブジェ。
東欧の写真家の奥底に脈々と連なる、工業的美意識によるアヴァンギャルド精神は健在なのであった。




2010.08.12 Thursday  横顔のポートレイト

戦禍を免れるためにアメリカに帰ったら、それまでのヨーロッパ美術界での評価と名声が殆ど知られていなくて、批評家からは「模倣者」の烙印迄押される始末。さながらシュルレアリスト連中の写真係、くらいの評価だったのだろうか。1940年代、カリフォルニアで静かな生活を送ったマン・レイの作品は、力の抜けたポートレイト写真や、新しい恋人ジュリエットとアトリエに引き篭もって撮影したと思しき実験的コンポジションの残滓のような作品が並ぶ。

国立新美術館のマン・レイ回顧展は不思議な展示だった。名だたる作品は既にポンピドゥ・センターに収蔵されており、その残ったものたちがマン・レイ財団にあるということが公式テキストに記されている。確かに、印画紙と光とオブジェによるレイヨグラフ、そして偶然の(リー・ミラーによる)現象で起こったソラリゼーションの名作たちは殆ど展示されていない。

肖像写真家として実績を持っていたマン・レイの、それが当時の流行にマッチしていたのかどうかは判らない、目線が曖昧な横顔のポートレイト群。それはどこか、絵画的構成の規律に引きずられていたのか、と思わせるような、透徹な美意識を感じさせた。愚直なまでに光と影を操作することに腐心しているマン・レイの、普通に真摯な作品だと思った。写真とは本来、このような態度で撮影されるべきのものなのだ。

晩年の、パリに戻ってからの写真活動。商業的案件は拒絶しながらもスタジオに篭もり恋人のポートレイトを撮り続けた。ポジフィルムによるプリント、ポラロイドへの好奇心。その行為は、マン・レイが抱き続けた写真への憧憬と執着を明確に表している。そのような感興がしみじみと湧いてくる、地味だけど記録としても重要で、写真という芸術に就いて、深く考えさせられる展覧会だった。




1950年代制作の無題ポートレイト。密着プリントのように濃厚な色彩、そして華美ではない色遣いが示す抑制の効いたデザイン感覚。エキゾチックな装飾のモデルの自由な表情が美しい。



怜悧で知的な美貌のジュリエット・グレコ(マイルスが恋して叶わなかった女!)。色彩定着新技法による素晴らしいポートレイトは六本木駅に貼ってあった展覧会ポスターにも載っている。マン・レイはその魅力の虜になっただろうか。これは同じポーズでモノクローム・フィルムでも撮影したもの。別カットでは伝家の宝刀(?)ソラリゼーションによって仕上げられた作品もあった。もしマン・レイ撮影のジュリエット・グレコ写真集があったら…などと思わずにいられない。



マン・レイ展 知られざる創作の秘密
国立新美術館(東京)
2010年9月13日(月)迄




2010.03.10 Wednesday  Lonesome Tokyo Koroller

本コラムにたびたび登場するハル吉君が写真集を上梓致しました。
その名も「東京☆コローラー」



[Tokyo Koroller]photographs by harukichi (2010)

そういえば私がアグファやオリンパス・シックスを弄んで楽しんでいた頃、
彼もキテレツなクラシックカメラを次々と購入していましたっけ。
その中でもいちばん変わっていたのがこのコロールでした。以下本書の序文を参考に記すと、正式名称が「ベンチーニ・コロール」伊太利亜製です。特徴は何と言ってもフィルムサイズで、ブローニ判の6×6の、丁度真っ二つに割ったハーフサイズ。しかし3×6はあまりにも細長いので縦を4.5になるようなフィルム室になっているらしい。645はポピュラーになったが3×4.5はあまり聞かないですね。



ハル吉氏所有のコロール三台。オブジェは大きさの比較の為とのこと。本体には含まれません。

勿論オートマット以前の赤窓式ですが、どういうわけだか背面に、赤窓が二個付いてます。
ハル吉曰く「ステレオ写真用ですかねえ」と言うが、そんなわけないと思う。

「東京☆コローラー」特装限定版を頂きました。オマケはベタ焼とネガフィルムが各一枚付いている。



特装限定版に付いていたベタ焼。被写体は寂しそうな私。
写真集では「友達のいない世界」という、意味深な章に掲載されていました。



表4です。浅草寺の写真を色インク一色で刷り、勘亭流の袋文字という、
現代ではなかなか思いつかない図案です。

著者曰く「哀愁の中に笑いを大事にしました。
お寺も写ってるので海外の観光客がお土産として買って行くのもいいかもしれません」
なにぶん中野の居酒屋で酔いながら聞いたことなので、コメントが忠実でないかもしれませんが悪しからず。

写真はコロールで撮った東京の風景(一部函館も)。ハル吉がレンズを向けるのは車や人々が通り過ぎていく街の風景。粒子が粗くてグラデーションが汚い白黒写真なので寂寥感が溢れる。時々空を向いて撮った作品が意外な名作だったりする。編集の仕方によってはシリアスな写真集にもなりえそうだけど、随所に記された和英併記のキャプションを読むと黄昏気分がストンと穴に落ちたような、乾いたユーモアを演出している。

以上感想でした。


「東京☆コローラー」
写真・ハル吉 
発行・峠の地蔵

峠の地蔵にショッピングサイトができてる!
写真集の詳細も見ることができますね。ちょっと覗いてみてください。







2010.02.14 Sunday  rebecca horn/rebellion in silence,dialogue between raven and whale

行こうと思っているうちに気がつけば最終日間近になってしまったレベッカ・ホルン展。
既に他の展示が始まった関係で、映画作品が別室でまとめて見ることができたので却って好都合でした。



buster's bedroom[1990]
サイレント映画期の喜劇俳優、映画監督であるバスター・キートンに固執し、足跡を辿ろうとする一人の娘。
キートンが晩年過ごしたとされる精神病棟「ニルヴァーナ・ハウス」に潜入するが、ナース二人組の車に轢かれて気絶する。
其の頃ハウスでは医長が事故で死亡し、精神病患者だけが残されていた。運営を停止させないように、財団から事態を隠蔽するために患者たちが一人を医長に仕立てているところだった…というようなストーリー。



キートンに固執する理由は、おそらく映画黎明期の人物だからか?本質的には無関係かも。
目隠ししてスポーツカーを運転してみる娘の精神的不均衡さと対照的に、ハウスで最も過激な患者である、車椅子の元水泳選手は、微動せずに静止状態になり、完璧なリラックスを実践できる。
映画作品としては最近作で、ホルンのオブジェが唐突に出てきたりすることがない分だけ映画っぽくなっている。

その後[ダンス・パートナー](1978),[ラ・フェルディナンダ:メディチ邸のためのソナタ](1981)を立て続けに見た。
自分と他者の境界とか、死が薄っぺらい紙のように見える。
劇中に現われるホルンのインスタレーションが主役であり、ストーリーはそんなに重要ではない筈だが、飽きがこないカメラワークというか設定。
二作とも最後にテーブルが踊ったり身長が伸びていったりして終わる。テーブルが最も重要だったのか?



ということで無事長編を滞りなく見終えたのだが、最終日間近故か本会場は混んでいて、映像のブースも満杯で入れない。初期のパフォーマンス映像を見ることができなかったので語ることができません。

上の写真は[ペンシル・マスク]というパフォーマンス作品映像のひとコマ。装置の荒々しい様子が却って迫力を感じさせる。彫刻などのインスタレーションはゼンマイ仕掛けのようにグラグラ動く。こんなんでいいのか?というくらいシンプルでアナログな造りが或る意味衝撃的。

展示タイトルの、鴉と鯨の対話、という作品は、却って「ありがち」なインスタレーションに陥っているような気がしたが、おそらく、音楽担当者とコラボするのがホルン女史の重要なポイントだったのではと邪推してみます。





「レベッカ・ホルン:静かな叛乱 鴉と鯨の対話」展は、東京都現代美術館で2/14まで開催。








2009.09.20 Sunday  Sexual Icon plus BD

はい。というわけで「VOGUE NIPPON」増刊号「VOGUE HOMMES JAPAN」2009/9月号です。
LADY GAGA & ARAKI'S TOKYO LOVEというグラビア撮影に黒子(String Bondage)で参加してきました。



pic:nobuyoshi araki
model:lady gaga 
[VOGUE HOMMES JAPAN]

恥ずかしながらレディ・ガガ、全然知らなかった……。クイーンの「レディオ・ガガ」みたいだなあと思ってたら矢張り芸名の元ネタだそうです。撮影中、スタジオで御本人の曲がガンガン流れてましたが、音楽的にはあまり関係なさそうですね。雑誌の制作側はいろいろ衣裳を揃えてページ立てを考えて段取りしてたっぽいですが、ガガ嬢の「早く縛ろうよ!」発言で殆ど終始一貫そればっかのシューティングでした。私もいちおう形を考えて縛ったわけですが、音楽に合わせて暴れまくるレディ・ガガ。こりゃブレブレで大丈夫かなー写真は、と思ったら荒木さん自ら縄で彼女の首をぐるぐる巻きに。そしたらようやくおとなしくなったというわけです。写真家は撮影するだけじゃ駄目だということですね。脱帽して脱力しました。


pic:nobuyoshi araki
model:lady gaga
[VOGUE HOMMES JAPAN]














2009.09.16 Wednesday  optron live



久しぶりの原美術館。伊東篤宏ソロ・ライブ・パフォーマンス「VR(visible radiation)」がお目当てです。
蛍光灯の放電ノイズを増幅して出力する音具、オプトロンです。過去記事参照。
現代美術アーティストの伊東氏が原美術館で行なうライブ・インスタレーション。
閑静な御殿山に異質な観客が続々と訪れました。偶然徳野雅仁氏にもバッタリ邂逅。さすがです。



オプトロンに加えてガラクタ換気扇が叩き出す音とか、扇風機でホースがぐるんぐるん回るホーミーっぽい音を出す音具も登場。オプトロンは時折伊東氏の手によってダンス・ビートのようなノリのよいリズムを刻む。不思議に心地よいノイズ・ミュージック。やがて終焉を迎えて蛍光管の灯火が消え、静寂が訪れると、空間は庭園の虫の音に包まれたのでした。




















2009.09.13 Sunday  fetisism/realism

インビテーション・カードが届く日が多くなって、9月になったのだなと感じる日々です。
そんな中、仲村みう本を献本するという大義名分とともに、久しぶりにBetty Blind氏のアトリエに。
私もこの秋は二回ほどグループ展に小品を出すことになって、或る特殊なプリント制作を手伝ってもらうというのが訪問の実際の目的で、たまに顔を出せば甘えてばかりの私にBB師匠は呆れ顔。しかしそれでも「ReAL FaKE Doll」を眺めて、いろんな意味で(?)褒めて戴きました。


photographs by Betty Blind

というわけでBB氏のHPもかなり浸透してきたようで、モデル希望の女性の応募も増えているとのことです。
近作も最近アップされたのでぜひ御覧下さい。


photographs by Betty Blind

ついでにモデル募集の宣伝もさせて戴きます。
フェティッシュ・フォトグラファー、Betty Blind氏は作品のモデルになっていただける方を随時募集しています。
興味のある方はサイトのモデル応募フォームに記して送信してください。
作品を見て気に入っても、いざコンタクトを取るとなると躊躇してしまいがちでしょうが、決して怪しい人では御座いませんということを保障させていただきます。作品を見れば一目瞭然ですが縛りが好きです。そこんとこよろしくです。私(アミダカメラ)宛に問い合わせていただいても結構です。
その場合はamidacamera.winchrome@gmail.com までメールでお願いします。




日にち変わって某日、池袋で行なわれた、東京都下水道局主催の写真展「地下探訪」に行きました。



サンシャイン・シティの噴水広場を封鎖して設置された大会場での写真展。
写真家白汚零氏のライフワークでもある下水道の中の風景です。




photographs by Ray Shirao

幼少期から対峙したオブセッションが暗い穴の中だったという白汚氏。
胎児に戻ったかのような安らかささえ覚えるという暗黒空間が下水道管の中だった。




photographs by Ray Shirao

自身の求める作風は寂寞とした穴の中の風景ですが、同時に展示されているのが「月刊下水道」という業界誌で連載撮影された、下水道で働く人々の過酷な現場の数々。
モノクロのシリアスなリアリズム至上主義的な写真で、会場でもこれらがメインの形で展示されていて、私も、様々な堆積物を浚渫作業する労働者の姿に戦慄を覚えました。



撮影家に案内と解説を受けて鑑賞させて戴きました。非常に有意義でした。
展覧会の看板が、白汚氏写真展というよりも、下水道デー記念写真展と銘打たれているのは、やはりお役所的というような理由らしいです。昨年のゲリラ豪雨で、東京都の下水道にて現場作業者が亡くなられたという事故がありましたが、今回の展覧会も、実は昨年行なわれる予定だったものが、世論に配慮して自粛したものが、ようやく開催の運びになったとのこと。たった4日間の展示ですが、6000人も訪れたそうです。白汚氏の魂がこめられた作品無しには語れない催しだったと思います。

会場で戴いた図録とポストカードから転載させて戴きました。
ポストカードは、我が家のトイレの壁に貼って飾ってみました。非常に感慨深いです。













2009.09.04 Friday  脳内プレビューの愉悦 Toshio Saeki [ONIKAGE]



「痴虫」がトレヴィルから刊行された時、とても驚いた。隠遁生活に入って寡作になっていた佐伯俊男は既に存在が伝説的だったので、新しい作品集を見ることができることはないのだろうと、何となく思っていたからから、「痴虫」を見て圧倒されて、感動した。そんなわけで、スナイパー編集部に入ったばかりの頃、かなりミーハー気分で、早乙女宏美さんと千葉県の山奥までインタビューに訪れたのが佐伯さんとお会いした最初だった。
「痴虫2」が出た時、画集の宣伝も兼ねて、雑誌のいちばん最後のページに、絵を一点掲載させてもらえることになって、トレヴィルに原稿を借りようと連絡して、郵便で送られてきたのは、線画にトレーシングペーパーがかけてあって、トレースされた絵に、色鉛筆で細かく色指定が記されているものだった。DTPという概念がなかった頃のことなので、図版原稿をトレースして指定を入れて入稿というのはごく当たり前のことだったが、その細かな指定にびびった。特に描かれている敷物の模様にまで微細に入ってるCMYKの数値の細かさは、今で言えば任意に色を抽出して作成したAdobe illustrator画面でのカラー数値欄みたいなもので、とてもではないが頭の中で完成された絵柄をプレビューすることは不可能だった。



それは色校が出ても校正ができないということなので、これは困った、と思いつつ送られてきた封筒の中を見ると、まだ書類が残っていて、取り出すとそれは完成後の絵柄が刷られた色校だった。というか、印刷物とは思えないほど精緻な図版だった。小さな紙片に、もし印刷所が難色を示すようならば、これを使ってください、というメモ書きが添付されていた。トレヴィル川合さんの心遣いにホッとした。校正の参考にしてくださいということではなく、この色校を図版として入稿すれば?という意味で、私はその方法に躊躇はなかった。後日出た色校の色校にはモワレの心配もなかったのは言うまでもない。

  
「ONIKAGE」Toshio Saeki
Published by Last Gasp of San Francisco
ISBN:978-0-86719-729-7

アメリカのLAST GASPから、佐伯俊男画集「ONIKAGE」が出版されて、記念原画展が行なわれている。サイン会で上京される佐伯さんに会いにスパンアートギャラリーに行く。布貼りハードカバーで370弌297mmの大型本。米国では年末に発売という予定に先がけて、日本で入手できるだけでも嬉しいが、実際の画集の出来の素晴らしさを見るとひとしおだ。
冒頭の二点は本書に数点挿入されている、佐伯さんの色指定したトレペを、改めてトレペに印刷したものの一部分。「痴虫」ほど細かくはないけれど、その丁寧に描かれたトレース画と指定文字を、原画の線画に重ねて見ることができるという構成がスバラシイ。ああ、なんでこの感じに気づかなかったのだろう、と、佐伯さんの画集を編集した過去の自分を責めてしまいたくなった。



線の原画の前には指定紙のトレペが入り、敢えて完成品はナシ。
新郎新婦の画のトレペを見て、脳内プレビューしてみるのも楽しい。



もちろんメインは色付きの画で、これは不思議な構図で好きな作品。なんかファインダーでフレーミングしたかのような不可思議なユーモア。ちょっと珍しい画角。

久しぶりに会った佐伯さんはなんだか年々若返ってるかのような感じで、精悍な雰囲気でした。
画集を買ってサインをしてもらおうとしたら、お前こんな高い買い物して生活は大丈夫なのか?
と心配して戴きました。なんて優しいんでしょう。こんな怖い絵を描いてるのに!




佐伯俊男 画集米国出版記念展覧会は9月6日(日)迄。11:00〜19:00 
最終日は17:00迄なので注意。

ちなみに「ONIKAGE」の気になる価格ですが、6300円です。
決して高いとは思えないヴィンテージ感漂うアートブックです。念のため。















2009.05.24 Sunday  百万人の美女

「世界の人口が約六十億人あるとする。そのほぼ半分、三十億人が女性である。そのうちの三分の一、約十億人が十七歳あたりから四十歳半ばあたりごろの若い女性、またはろうたけた熟女たちであろう。 この、十億人という圧倒的な女性集団のボリュームを思うと、異様な戦慄を感じざるをえない(中略)厳重に選んで十人に一人、いや百人に一人、いやいや千人に一人という割で選び出すとしよう。千人中の一人というのなら、たいていの我儘な面食いでも、まず妥当な女が選べるであろう。 とすると、十億人の中の千分の一だ。これは百万という数字だ。千人に一人の美女が世界には百万人もいるのだ。その百万人をもしオリンピックのように一箇所に集めて、目の眩むようなその大集団の中へ、たった一人で埋没するとどうだろう。蚯蚓や土竜のように百万人の足の大ジャングルに頭から分け入り消えていく……」(沼正三「百万人もの女性のエキス」より) : 沼正三著 「懺悔録 我は如何にしてマゾヒストとなりし乎」が、ポット出版より刊行されました。天野哲夫名で長年S&Mスナイパーで連載した「ある異常者の体当たり随想録」からの選りすぐりの文を再編集したもので、担当編集者は元スナイパー編集部同僚の高橋君です。あの「家畜人ヤプー」の作者、沼正三の正体であるとされている天野氏ですが、昨年秋に、奇しくもスナイパーの廃刊に合わせるかのように訃報がありました。戦後最大の奇書と謳われたヤプーの作者が天野さんだったのか、謎は封印されたまま現在に至っているわけですが、沼正三著ということで長年のマゾヒズム論集がまとまったということです。 引用したのは「ある異常者の……」の中でも特に印象深い一文で、天野氏の壮大なまでのマゾ的妄想力がいかんなく発揮された名文です。百万人の美女までの皮算用もかなりの偏執ぶりですが、その百万人を自己との相対化を計るにあたって、きっぱりとオノレをモグラかミミズと規定し、さらには百万人の美女の、おみ足にターゲットを絞ってその妄想の渦に巻き込まれていく幸せよという、あまりに具体的なマゾヒストとしての心情の吐露は、むしろすがすがしくユーモアさえ併せ持っていると思います。瀟洒な装丁で丁寧に作られた造本もよいです。ご興味を持たれた方はぜひ御一読を。




2009.03.26 Thursday  LE VAGABOND DE TOKYO

Le lezard noirのステファンが来日したのでひさしぶりに再会しました。
彼自身のプライベートでのお祝いごともあり、いつものように銀座で酒盛り。昨年の「AKAI HANA」展の時にひょっこり現われたolivierさん(過去の日記)は、東京マラソンに出場のための遠征だそうです。そして通訳のミヤコ・スロコンブさん、ギャラリー・ミリュウのチカさん、写真家で舞踏家の酒井敦さんも一緒。Le lezard noirはステファンがお気に入りの作家の本を出すための出版社。私の本もかなりの年月をかけて刊行されたけど、次の写真集は酒井さんの「写真百物語」で、もう何年も前から鋭意編集中。きっと良い本ができる筈です。商業主義と一線を画した本好きの彼が今手がけているのがななんと、あの「どくだみ荘」ですよ。



原作の福谷たかし氏は2000年に逝去されたそうです。そういえば忘れてたよなあ独身アパートどくだみ荘。フレンチ版は「LE VAGABOND DE TOKYO」で、なんだかかっこよいです。しかし仏語訳係のミヤコさんは初めて読んだ時、あまりに下品な漫画で目眩がしたとおっしゃってました。そりゃそうだ。それにしてもステファンの慧眼(?)には恐れ入った。ムーミンと丸尾末広と「AKAI HANA」ときて「どくだみ荘」ですもん。フリースタイルにも程があるってもんだ。

銀座の魚屋でのささやかな酒宴。


atsushi,chika,yasuji,miyako,stephane,olivier



Le Vagabond de Tokyo : Résidence Dokudami

Le lezard noirのblogです。





/ 1 / 4 / >>

Profile

Category

Archives

admin