sometimes in amidacamera  ときどき、ご説明します。

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2010.07.21 Wednesday  Bravo! 大野一雄追悼

舞踏家大野一雄が2010年6月1日に103歳で永眠した。五年前に私は諏訪敦絵画作品集の企画で思いがけなくも大野慶人氏のポートレイト、そして舞踏の瞬間をセットアップ撮影させて戴き、慶人さんの御厚意と僥倖で当時既にほぼ床に臥せった儘の大野一雄の顔を撮影した。画集に掲載された写真は自分が撮影したものとは思えないほどえもいわれぬ迫力があった。昏睡状態のような大野一雄の顔に向かって私は、精一杯の礼儀という意味でライカフレックスにズミクロンを装着して寄っていった。OM-1じゃなくてライカフレックスが礼儀というのもOM-1に失礼な話だけれども、とにかく眠っているのをいいことに私は標準レンズで大野一雄の顔に迫った。フレックス特有の柔らかくも重厚なシャッター音が断続的に鳴り響き、次第に大野一雄の瞼がぴくぴくと動きはじめたような気がした。慶人さんとフォロワーの女性の方が、あっ、先生がシャッター音に気づいて踊り始めたよ!と叫んだ。大野一雄は徐々に覚醒し、そして瞼をぴくぴくと震わせた。そして私は、その瞼のぴくぴくにこれ以上ない畏怖を感じて、というと恰好いいが、びびってカメラを構えたまま後ずさってしまった。

私は舞踏に心から感動を覚えていたわけではなくて、初めてその身体の表現がわかったような気がしたのは、細江英公による土方巽の実験映像を見た時だった。でも何か確信できたようなことではなくて、ただ、この人は自分の肉体が何故このようになっているか、ということに強い興味があるのだな、と感じたまでで、私に舞踏を語る資格は無い。だけどその時から私は、舞踏はまるで俳句のような窮極の表現なのかもしれないな、などと思うことができた。それだけでも私にとっては素晴らしい経験だった。

大野一雄とのお別れ会「ブラヴォー!大野一雄の会」が横浜BankARTで盛大に行われた。鹿爪らしくこのような会に参加した自分に少し照れというか滅相も無いというような居心地の悪さも感じたけれど、やっぱり行ってよかった。細江英公による生真面目な弔辞の後の、大野慶人による舞踏は、哀しみを最小限の規模で無限の広がりを表現しているかのような、そんな舞踏の底力を感じさせてくれた。それは言葉で説明できるようなものではない。


pic:yasuji watanabe

私たちは何処から来て、そして何処へ去っていくのか。どうして生きたり死んだりするのに迷うのか。
何故愛するのか、そして何故憎むのか。
舞踏が渇望して欲するものとは、案外と普遍的な、凡庸な我々の想念そのものなのかもしれない。
大野一雄が、未だ生ける我々に対して発するメッセージは、時間が経つにつれてより鮮明になっていくのだろう。








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